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ミステリアスな魅力ある城「小田城」

つくばスタイル特派員 ヤギッチ - 2013年12月12日09:41

どーも、ヤギッチです♪

 

以前こちらで紹介した、「多気太郎万灯会」や「小田っ子ふれあいの日」で小田の歴史をちょっとだけ知った私。
この辺りを鎌倉時代から治めていた大名・小田氏に興味が湧きました♪

小田氏の居城だった小田城は、茨城県南で最大のお城でした。
現在およそ21.5haもの広さが国の史跡として指定され、つくば市で復元整備と発掘調査を行っており、毎年発掘調査の成果を一般公開しています。

 

 

筑波山と宝篋山、両方を眺めることのできる眺望!この時期の宝篋山、紅葉が見事です♪
素晴らしい場所にお城があったんですね…。

本丸があった場所は整備が進められていて、平成28年に公園がオープンする予定だそうです。
絶景の公園になりますね!今から楽しみです^^

 

2013年の発掘調査では珍しい発見がありました。

 

1312odajo1

 

11月末、本丸よりも南側…城の隅の方から、木製の構築物が出てきました!
木製のものがここまでくっきりと出てくるのは、珍しいこと。
お堀の中で、真空状態で保存されていた為にきれいなまま出てきたらしいです。

 

しっかりと縦材と横材が組み合わさっているのが分かります。
しかし、いつ何の用途で作られたのか、まだわかっていません。

 

というのも小田城は、戦争で奪い奪われを繰り返してきた長い歴史があります。

例えば南北朝戦争の際、南朝方の重臣 北畠親房を迎え入れ、小田城は南朝方の中心的なお城となります。(この時、北畠親房は有名な「神皇正統記」を小田城で執筆したのだとか!)
そのために北朝軍の攻撃を受けることになり、降伏…。
小田氏は北朝方に従うことになりますが、その北朝方で活躍し見事に復活!
しかし再び上杉氏と戦うことになり、討伐を受けることに…。

 

…こんな風に何度もお城を巡った攻防がありました。
小田城はその都度、戦に備え堀を作り、戦に負けて土塁(今で言う土手のような丘)を削られ、姿を変えていきました。

 

今回の木製の構築物も、お堀が機能しなくなってから作られたものなのか、構築物ができてからお堀を作ったのか、慎重に判断する必要があります。

 

この木製の建築物の他に、もう一つ意義のある発掘がありました。

 

お城は基本的にお堀と土塁で渦巻き状に幾重にも囲って、本丸を守っています。
小田城は戦国時代、「障子掘」でお城の一番外側を守っていたことが判明しました。

 

1312odajo2

 

「障子堀」というのは、堀の中で山や谷の高低差を設けるもの。
写真からは高低差が伝わりづらいですが、水の溜まっている低地は、写真から更に1~1.5m深く掘られていたそうです。
(発掘は一部をピンポイントで掘って調査しています。本来は写真の左側にお堀が続いているはずです)

 

障子堀が発見されたのは、先ほどの木製の建物があった場所よりさらに本丸から南に離れた場所。
こんなお城の隅に障子堀を作るということは、戦国時代の小田城、かなりのっぴきならない状況に置かれていたんですね…。

 

確かに、お堀の中で深い場所や高い場所があったら、足を取られて攻めにくい。
本丸に行くためには、この「障子掘」と高さ2mほどある「土塁」が交互にある訳で…。

 

障子掘と土塁跡を目にしながら、いつの間にか「どうやって小田城を攻めるか」を考えていました(笑)

 

1312odajo3

 

小田城は北に筑波山と宝篋山があり、南にバーっと田んぼが広がる、とても魅力的な場所。
昔の戦国武将たちにとっても、魅力的な土地だったのでしょうね…。

 

まだまだ謎の多い小田城。
これから調査が進み、歴史が紐解かれるのが楽しみです^^

 

以上、祖母が小田出身のヤギッチがお送りいたしました♪


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